ごあいさつ

主任牧師 中村 信義(なかむら のぶよし)

1975年生まれ。

当山小学校、浦添中学校を卒業後、

沖縄尚学高校、琉球大学へと進学&卒業。

2002年聖書宣教会(神学校)卒業。

その後、幼稚園、塾講師、キリスト教専門書店で勤務。

現在はライフセンタービブロス堂の店長も兼務。

屋富祖バプテスト教会牧師の中村信義と申します。

生まれは熊本ですが、生まれてすぐ沖縄に移り、県内あちこち移り住みましたが、浦添市にも10年近く住みました。父親も牧師だったので、生まれたときからずっと教会に通い続けています。以前は聖書やキリスト教専門書の移動販売で北は北海道、南は宮古・石垣島のたくさんの教会を巡回販売しました。教会と言っても地域や教会の歴史などによって本当に様々ですが、総じて言えるのはどの教会も神様の恵みに感謝して喜びにあふれた集まりでした。

私たち屋富祖バプテスト教会も、素朴ですが、神様の恵みに感謝して喜びを分かち合う人たちが集まっています。

協力牧師 安室 朝清(あむろ ともきよ)

1985年8月より38年間、当教会の主任牧師を務める。

その間、民生委員としても地域に奉仕。

趣味:三線

私が教会に来たキッカケ

N.N.さん(40代 男性)

 私はクリスチャンホームで生まれ、祈ること、教会に行くことが当たり前と言う環境で育ちました。幼稚園もキリスト教主義のところに通い、多くのクリスチャンに囲まれて育ちました。ところが小学校に入り、どうやら日曜日に教会に行っているのは自分だけらしいということに気づき、自分の信仰を隠し、周囲に合わせるようになりました。

 その後、新興宗教の事件が大きなニュースになり、世の中が「宗教」というものに対して冷ややかな目を向けるようになると、ますます学校では自分の信仰についてはひた隠しにするようになり、日曜日は教会でクリスチャンっぽく、平日は無宗教の人のようにという二重生活をするようになりました。

 教会には通い続けていたので、バプテスマの話は何度もありましたが、いろいろ理由をつけて避けていたのですが、大学生になって「バプテスマを受けるかどうかはあとで決められるから」と半ば強引に求道者クラスで入門の学びをすることになりました。その学びの最後にバプテスマを希望するか聞かれ、これまでの学びに対して何の異論もなく、断る理由も特段なかったことと、20歳という節目でもあったのでバプテスマを受けることにしました。

 その後、KGK(キリスト者学生会)というクリスチャン大学生の集まりに参加するようになり、クリスチャンの友人ができ、彼らの真直ぐで熱心な信仰に憧れるようになりました。そうなると自分の信仰生活の理想と現実のギャップ悩み、苦しく感じるようになり、それがピークに達する頃、へブル12章のみことばが与えられました。「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。(新改訳)」。神様に喜ばれるような熱心なクリスチャンになかなかなりきれないままでも、神様は私のことを愛し、子として扱ってくださっていることを知りました。

 また、とあるキリスト教の雑誌に掲載されていた、宣教師家族で育ったという牧師の証しを読む機会がありました。その証の最後にはこうありました。「私のような罪人がイエス様に出会うためにはあの家に生まれるしかなかったのだと思う。」そして同じようなタイミングでエペソ1章4節のみことば「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。(新共同訳)」も与えられました。こんな私一人のために神様は壮大なご計画を持っておられるとは!と感動し、ローマ5章8節「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」が与えられ、神様の圧倒的な愛を知らされました。

 改めて振り返ると、小学校4年生の時の浅はかな信仰告白を、主は真摯に受け止めてくださり、長い時間をかけて導いてくださっていたことに感動を感謝を覚えます。